宮島に受け継がれる炎。

人々をつなぐ松明。

Interview 08

千年先も、いつくしむ。宮島

宮島に受け継がれる炎。
人々をつなぐ松明。

Interview 08

毎年大晦日の夜、嚴島神社の御笠浜(みかさはま)を舞台に行われる「鎮火祭」は、かつて江戸時代までは「晦日山伏(つごもりやまぶし)」と呼ばれ、山伏が取り仕切る町内行事であったという。その後、明治維新を経て嚴島神社の「火難除け」の祭りとして定着した。
大晦日が近づくと、祭りに欠かせない松明づくりが島内の各所で始まるが、その中心人物の一人である岡田翔真さん(宮島町商工会青年部 部長)は、松明づくりを“ワークショップ”として開放し、学生や外国人、地元住民、観光客など幅広い層に教える取り組みを続けている。

ワークショップで広がる松明(たいまつ)づくりの輪。

ワークショップで広がる松明(たいまつ)づくりの輪

「松明づくりって、一人ではなかなかできない作業ですから。ワークショップにみんなで集まって、わいわい言いながら手を動かすと楽しいんですよ」と笑う岡田さん。
その取り組みは、単に祭りの準備だけではない。外から来た学生や外国人も巻き込み、宮島の大晦日を一緒に楽しむきっかけづくりになっている。そうして、多様な人々と一緒に松明を完成させる体験を通じて、伝統行事の重みや地域との関わり方を自然に感じてもらおうという狙いがあるのだ。

「昔は、男たちが激しく担いで走り回る『男の祭り』ってイメージで、内輪だけで完結していた部分があったと思うのです。しかしコロナ禍を経て、より安全に楽しめる形を意識するようになりましたし、実際『鎮火祭って何?』と初めて知る方も増えました。今は『せっかくなら一緒に松明づくりから体験してみませんか?』と声を掛けて、広く参加を募っています」と岡田さん。
地域外の人に開かれた姿勢が、これからの祭りの持続性を高める鍵になると感じている。

大人になって意識した「伝統を絶やさない」という責任

宮島で生まれ育った岡田さんは、学生時代こそ島を離れて広島市内の大学に通っていたが、周囲の事情や家族の仕事の都合で、卒業後は当たり前のように地元に戻ってきたという。「大学生の頃は、宮島から通うのがしんどくて、広島で下宿したりもしていました。でも土日になるとバイトしながら宮島に帰って手伝いをしていて……気が付けば島に戻ることになったんです」と振り返る。

実は、初めから熱心に松明づくりをしたいと思っていたわけではないそうだ。しかし宮島町商工会青年部に加入し、伝統的な行事を支える立場に身を置くようになると、自然と責任感が芽生えたという。
「僕ら若いメンバーは、目の前の忙しさに追われており、『火事やけががないように』という思いが強いのですが、僕たちより上の世代は、鎮火祭そのものの歴史や意義をもっと深く感じている方が多いですね。祭りの本質に触れるようになって、だんだん中に入っていき、『絶やしちゃいけない』っていう気持ちが強くなっていくんだなと感じています」

宮島町商工会青年部のメンバー
宮島町商工会青年部のメンバー

鎮火祭そのものは江戸時代から続く由緒ある行事だが、参加の仕方や感じ方は、世代によって、時代によっても異なるという。
「僕が子どもの頃は、夜更かしを楽しむ感覚や、友達と一緒に練り歩くワクワク感が大きかったのですが、今は『来年を灯す』という意味が、祭りにはあると思うようになりました」 祭りには、祈りや決意が込められていると岡田さんは感じている。

持続的な祭りのかたちを求めて

そんな岡田さんが近年力を入れているのが、松明づくりの「開かれたワークショップ化」だ。松明は、大人数人で担ぐ大きなものと手に持てる小さなものがあるが、2024年、小さな松明は前年のおよそ2倍800本ほどを用意した。そのうち650本程度は自分たちで巻き上げ作業を行ったが、残りは下処理を終えた状態で、ワークショップや学校へ提供し、一緒に作業をする機会をつくった。
ワークショップには、地域の子どもたちや観光客に加えて、外国人の姿も見られる。中江町(ちゅうえまち)活性化プロジェクトの拠点であるゲストハウス「三國屋」で開催され、宮島町商工会青年部と同プロジェクトの学生たちが運営を切り盛りした。

「やさしい日本語」ツール

「学生たちの力も借り、今年は思い切って数を増やしました。作った松明は、例えば旅館さんだと、31日に宿泊されたお客さんに『大松明を持って練り歩きましょう』って案内したり、使った松明の周りに巻いていたそぎ板をお守りとしてお渡ししてくれたりするのです。松明を通して、外から来られた方にも、宮島の大晦日を知ってもらえています」と岡田さん。

「やさしい日本語」ツール

祭の中心にいる人々だけで閉じてしまうのではなく、外へと広げていく。これが「持続的なまちづくり」の一つになっていると言えるだろう。
「人口減少が進んでいて、子どもの数も減っています。伝統行事を守るには、やりたい人を積極的に受け入れていく姿勢が大切なんです。一度パタッと止めてしまったものを、ゼロから再開するのはすごく大変ですから。だからこそ続けるための工夫が必要だし、そこに若い人、学生さんたちのエネルギーが加わればさらに盛り上がります」

「やさしい日本語」ツール

ワークショップの運営では、大学生が協力してくれるのが本当にうれしいという。
「参加する理由は人それぞれ。面白そうだからやってみたいでいいのです。学生たちには、人生で思い描いているものがあると思いますが、そういうところに松明が少し寄り添えたらなというぐらいで思っています。学生時代って、大人と一緒に何かをする機会が意外と少ないですよね。僕らも刺激を受けるし、いいことだらけじゃないですか」

今後の目標を尋ねてみると、次のような答えが返ってきた。
「どうしていきたいかっていうより、『絶やさない』っていうのが僕たちの使命で、それはお祭りに限ったことではありません。宮島町商工会青年部のメンバーも、時間がない中で、家族がいるところはみんな頭を下げながら、地域の取り組みに参加しているんです。僕らで歩みは止められないのです。といってもこういう取り組みは、実は楽しいものでもあるんですよ!」