手作りの新聞で届ける、
島の人の営みと思い。
かつて旅籠(はたご)や商家が建ち並び、宮島の表参道としてにぎわった本町筋が、「町家通り」と呼ばれるようになって二十数年。通りには、江戸時代の伝統的な町家建築を生かした旅館やカフェなどが増え、民家や個人商店と軒を連ねながら独特の趣を醸し出している。そんな町家通りの情報を新聞で発信しているのが、「ぎゃらりぃ宮郷」の宮郷哲弥さんだ。活動の原動力となっている、地元への思いを聞いた。
町家通りの同志が集まり新聞を創刊。

築200年以上の商家を改装し、貸しギャラリー、カフェ、雑貨販売を展開する「ぎゃらりぃ宮郷」。オープンは宮郷哲弥さんが宮島を離れていた2003年だ。
「宮郷家は長く続いた杓子(しゃくし)問屋でしたが、時代の流れと共に廃業を余儀なくされ、作業場だったこの建物はしばらく空き家でした。本家筋の父母が譲り受けた後、建築家の福島俊をさんの力を借りて現在の空間を作り上げたんです」
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
システムエンジニアの職を退き十数年前に帰郷した宮郷さんは、初めは「店の手伝いをしよう」というくらいの軽い気持ちだったという。しかし、町家通りの行灯(あんどん)プロジェクトなどで、地域の活性化に尽力していた父の遺志を継ぐ形で「町家通り会」の代表に。さらに、幼なじみでもある「酒と器 久保田」の社長と「おひさまパン工房(現OHISAMA)」の店主に企画を持ち掛けられ、町家通りMAPと地域の情報を掲載した「宮島 町家通り通信」を2015年に創刊。年4回1500部を刷り、町家通りの店舗や宮島桟橋・宮島口の観光案内所などで配布するようになった。


島民だからこそ知る情報を届けたい。
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2025年春号で10周年を迎える「町家通り通信」には、毎号、宮郷さん視点のこだわりのネタが載る。例えば、フェリーの運航が終了した夜間、救急車はどうやって島外の病院に患者を運ぶのか? 台風と満潮が重なった時、海岸沿いの建物の床上浸水を防ぐために、どんな対策が採られているのか? 暮らしの中で感じた疑問などに基づいて取材し、消防署が救急車を乗せられるフェリー型ボートを保有していることや、石鳥居の手前に可動式の防潮板が敷設されていることを知ったという。
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もちろん、宮島で生活する人にもスポットを当てる。お土産用の菓子箱製造の工場を訪ねた記事もその一つ。
「話を聞いてみて、外箱としての在り方、そこにかける情熱に感動しましたね。箱を組み立てる規則正しい音と共に、宮島の当たり前の日常が紡がれていることも実感しました」と宮郷さん。
ガイドブックが取り上げない話題や、島内でひそかにがんばっている人のことを記事にしたい。それを読んで宮島を巡って、旅の楽しみを倍増させてほしい。そんな思いが宮郷さんの背中を押す。SNSではなく紙の新聞にこだわるのにも理由がある。「つながるべき人、縁がある人が手に取って読んでほしいから。メジャーな媒体にならなくていいんですよ(笑)」
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島の人の「宮島への思い」に触れて。
Uターンした当初、宮郷さんが見た「宮島」は観光地で、島民同士の関係性の濃さに少し居心地の悪さを感じたという。しかし今では、それが暮らしやすさに変わってきたと話す。
「顔なじみが多いのは安心だし、興味がなかった祭りなどにも参加するようになりました。宮島の町家ならではの特色も知りたくなって、伝統的な町家建築に関する講義を聴きに行ったんです」
そこで宮島の町家には、店舗・仕事場として使われていた「ミセ」という部屋の奥に、神棚を祀る「オウエ」という吹き抜けの部屋があることを学んだという。
「オウエ上部に2階がないのは、神様の上を人が歩くと失礼だから。建物自体、神様と一緒に暮らす意図をもって設計されているのです。宮島は神の島とよくいわれますが、私が考える宮島は神様と人との距離が近いこと。人が神様と同居するという気持ちが信仰の本質のように感じます」
この全国的にみても宮島にしかない建築様式のことを知ったことで、宮島の暮らしにより誇りを持てるようになったと話す。
宮島では多くの人が、それぞれに「宮島への思い」を抱いて生活している。そんな島民と気軽に話をして、「また来たい」と思ってもらえれば――。「町家通り通信」がその手助けになること、「ぎゃらりぃ宮郷」がそういう場所であることを、宮郷さんは心から願っている。
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- ぎゃらりぃ宮郷
- 住所 廿日市市宮島町幸町東表476 町家通り
- HP http://ww4.tiki.ne.jp/~miyazato/